土曜日。

彼女が大声であははと笑っていた声で目覚める。何かと思ったら、早起きしてピクニックのお弁当を作っていたところ、ご飯を使いきろうと作ったおにぎりが、手のひらくらいに大きくなりすぎて笑っていたみたいだった。

彼女が作ってくれたお弁当をもって山下公園にピクニックに行った。天気も快晴、気持ちよかった。お弁当の付け合わせを少し残したらそれをみつけて、嫌いなのかと問い詰めてきた。かわいい子供が、何度も近づいてきた。若いカップルがtiktokカップルアカウントへの投稿用なのか、わざとらしく遊ぶ様子を動画に撮り、撮り終わるとすぐにやめて次の遊びをしていた。自分の食べているバームクーヘンを飼い犬に与える飼い主がいた。

ピクニックを終えると、家に帰り、そのまま寝てしまった。彼女は早起きしたためかずっと寝ていて、その間に自分は最近遊んでいるcyberpunk2077というゲームの続きをしたり、最近観てるアニメのブルーアイサムライの続きを観たりしていた。

*

日曜日。

彼女は朝に帰った。僕はなんとなく惹かれた『Maelstrom』という映画を観に、はじめて横浜シネマリンへいく。横浜シネマリンは近所にあり、行きたいと思っていながら、この3年間結局一度も来れていなかった。

『Maelstrom』は山岡瑞子さんという方が自身のことを語るセルフドキュメンタリー。家庭内の不和からの逃避、NYの美大への留学、事故、半身不随になったこと、その中途障害を抱えていきてきたことについての語りが淡々と述べられる。最終的に、障害を抱えることでいつの間にか手離してしまった、かつての表現を少しとりもどしたところで話は終わる。

映像と音響と言葉の美しさがまず、とても映画として優れていた。ベッドルーム的でありながら、アマチュアではありえない、繊細さと端正さのバランス。

そして、障害者として向き合わざるを得ないアクセシビリティへの視点。生きづらさに向き合うトークセッションなどを行う古本屋が、階段をつかわなくては入ることすらできないことなど、決して責めるようなトーンではないけれど、淡々と語られて向き合わされる。(この映画を上映している横浜シネマリンも狭い階段をおりた先にある。)

思えばサブカルチャーハイカルチャーは、マイノリティ受容に適していない部分がある。僕のすきな古着屋も、クラブも、当たり前のように階段の先にある。思えばクラブで車椅子の方なんてみたことがない。壁があるのだ、と気づく。そこでは思想と実質が矛盾している。お金がないからだ、とおもう。

話を映画にもどすと、この映画が印象的なのは、作家が表現を手放さなかったこと。最後にはそこに戻ってきたこと。常にビデオをとっていたこと。私も、生活に押しつぶされて表現への意思も時間もすりへらされつつあるけれど、決して手放さずにいたい、いなくては、と思う。

この映画は配信もDVD化もしないだろうので、ここで上映して終わりだと仰っていたが、ぜひDVD化して欲しい。単館上映でおわってしまうにはあまりにもったいない作品だとおもう。

その後、黄金街高架下のギャラリーで開催されていた山岡さんの個展もみた。NYの美大時代につくった作品と、近年の作品も交えて展示されていたとのこと。NY美大時代の作品はとても瑞瑞しく、内面の悩みに向き合っているような作品。2000年代の時代の空気みたいなものも感じて、こういうところから来た人なのかと思った。