金曜日の夜にアルコール度数7%のレモンサワーをひとりで飲んで寝て、そこから土曜日もずっとひきずって一日寝て過ごしたので、なんだか今週の土日休みは少なかったような気がする。

日曜日、夕方になってようやく外に出たら、家の周りの草木がぼうぼうと成長していて、ちょっとした熱帯みたいになっていた。

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先週の土曜日、彼女とあってから、彼女がいまどんな気持ちか知ってから、とても心が救われたような気になって、もう寂しくなくなった。彼女とここまで通じているものが残っているなら、もう他になにもいらない。

アプリで出会った人はみんな淡白でどこか冷たく、(まぁ30近くで付き合うとなると結婚前提なわけで、そうなるとシビアになるのは仕方ない)もうマッチングアプリは放棄していた。そして寂しさを埋めるために通話アプリをしていたわけだけど、最近は、もう話すことなんて何もない、というような気になっていたのだった。

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彼女はほんとに優しい子だなと思う。

昔、僕が買ったTシャツが少しサイズが小さくて困っていたら、かして、といってTシャツを羽織ったと思ったら、体育座りをして膝の部分までTシャツを被せて、Tシャツを伸ばしてくれた。

そんな無邪気で素直で可愛い子。

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最近は家で過ごすのが心地いいな。とか思っていたら、夜、1階でたてつづけに3回Gを発見してしまい、一人でびびっていた。急いでタニサケのゴキブリキャップを通販で購入した。しばらくは1階ではおちついて過ごせない。

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執筆用にipad miniが欲しいな。PCを開きたくない。色々とできすぎて、気が散ってしまうから。

とりあえず、Rollbahnのノートを買い足した。

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今週プレイしたmixtapeというゲームが素晴らしくて、久しぶりにこんなに素直なサブカル、ノスタルジアを体験して、感動した。私がすきだった洋楽カルチャー、ここにあり、と言う感じ。このくらいの文化感で生きていきたい。つまりさ、SNSとかYoutubeとかみてしまうこと、もうやめにしたい。コンテンツから作品へ、ポジショントークから日記へ。(福尾匠の引用)

今日は朝からお洗濯、買い出し、簡単なお掃除をすませて、リビングで静かなジャズをかけながら読書していい気になっていた。

しかし、14時をすぎるとしずかな虚無と不安がおそってくる。私には何もない。

誰かひとりでいい。自分のことを心から気にかけてくれる人がいたら、それでいい。

ここ数ヶ月の間に、彼女と別れて、いちど復縁して、また別れて。とうとう彼女は家を出ていってしまった。最後に数年ぶりに、手紙をもらった。

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家の周りの草木は伸びっぱなしにしていて、そのせいで窓をあけると、窓のそとに緑が見えていて、それが少し心地いい。

父親が少し前に送ってきてくれた柚子胡椒は、父親らしい、神経質で無骨な味がする。

数年ぶりにクナイプのバスソルトをかってお風呂に入る。バスソルトを浴槽にいれて、あしのさきでかき混ぜる。ざらっと粒だった感触がなつかしい。とけるとすこし気泡して、炭酸のように泡立つ。この溶けていく過程の少しの手触りが、一瞬でとけていく入浴剤との違いで、なつかしく心地いいと思う。

最近はいろんなメーカーの紅茶をかって飲んだり、バスソルトをかったり、お茶おきのお菓子をおいたり、こういうQoLをあげるような試みを久しぶりにしている。いわゆる丁寧な生活?アフターコロナの世界ではほとんど忘れられた概念かもしれない。僕自身も忘れていた。

でも今は、こうしたちょっとした生活の質の向上とかから、生活の手触りというか、生きていく目的というか、そうしたポジティブな少しづつ感触を取り戻してきているように感じる。

(それはそれとして、自分の部屋の写真をSNSにあげて自慢するような人が大嫌いだ。)

仕事中ずっとデスクで椅子に座っているので、休みの時間はできるだけソファや2階で過ごすといいかもしれない、と思った。デスクチェアは網張りの椅子なのだけど、座るところも網張りで寒くクッション感がなくて、あまりよくない。買い替えたい。

母親からもらったSTTOCKというメーカーのタンブラーを愛用している。セラミックでできていて軽くて保温性もたかく、金属製の口当たりの冷たさもなく、欠点がない。いつでも紅茶を飲めたりして嬉しい。(最近は面倒でコーヒーを淹れることが減った。味にも飽きてきたのかもしれない。アールグレイのホッとする味が最近の好みだ。)

彼女が出社で1日会わず、帰ってきてから会った。夜も彼女は早く寝て、自分一人の時間がもてた。このくらいのペースで会うのがいいなぁ、と思った。最近は、彼女に合わせすぎず、彼女に好かれなくても、自分で自分の好きなところはキープしようと思っている。

でも、彼女が家に帰ってきて、彼女が自分と生活してくれることは幸福なことだと思う。

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airpods pro を第3世代のものに買い換えた。第1世代のものを長らく使ってきて、もうANCもまともに使えなくなっていたので、初売りのタイミングで買い替えたのだった。第1世代と比較するとANCの性能は4倍になっている、という触れ込みで期待していたのだけど、使ってみた感じはそこまでの感動はなかった。小さいケースをみて、このサイズ感に詰め込める性能って、限界あるよなぁと思った。今後も、マイペースに購買行動はしていこうと思った。

彼女のご両親との顔合わせと、結婚が目前にせまってきて、ここ最近はなんだかとても憂鬱になっている。

彼女は相変わらずとても愛おしくて大事な存在だ、と思っている。でも、自分自身をある程度犠牲にして、彼女と過ごしていることは間違いなく、そのため、いろんなifを考えたり、一人で自由だった頃を思い出したりすることがとても増えている。

もう心から自由だった一人暮らしの時間には戻れない、ということがとても大きなプレッシャーになっている。今、彼女と暮らしていて、いろんな時間で自分の趣味や考え事に浸る時間、他の人と話したり、過ごす可能性を失っている。いつの間にか、自分の話せること、考えることは、彼女と話すことができる範囲のことに限定されているような気がする。失われてしまった感覚をもう取り戻せるかもわからない。どうすればいいかわからない。

パートナーが美容院や友人との遊びでほぼ一日家を空ける。途中でちょっとだけ帰ってきて、一緒に実写版の『ピーターラビット』をみた。大学生の頃にレンタルで一度みたけど、彼女と笑いながらみて、ずっとたのしかった。

同棲を始めてからシリアスに映画をひとりでみる、ということは少なくなった。

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あいにくの雨で、ほとんど家にこもりきり、気が少し滅入る。

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昨日の夜、布団のなかで、あまりにショックでできるだけみることを避けていたニュースを、とうとう検索してまでみてしまう。ひどくショックをうける。時々、あまりにひどいニュースがあり、それは普通に何も悪いことなく生きてきた人たちが、不幸にもとても苦しんで亡くなってしまうようなニュース。そういうものを目にすると、この世界への信頼が失われていく。しかしどうしようもない。亡くなる最後の瞬間を想像してしまい、とてつもなく怖くなる。

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久しぶりにPS5のゲームをプレイする。気になっていたゲームをソフトで複数購入したまま、手付かずのまま棚に並べている。そのなかから一つピックしてプレイする。PS5のゲームはとてもリッチで、dual senseのハプティックフィードバックも今でも時代の先をいっていて、面白い。一方で、2-3時間プレイすると、大抵満足してしまう。大学の頃は何時間も何日も飽きずにゲームをプレイできたのだが、ああいう時間はもう持てないのかもしれないと思う。プレイした先に何もない、そして私の人生は有限だということに気づいてしまった。

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この家で同棲を始めてからは、なにも変わらないような、とまった時間がずっと引き伸ばされているような、そんな感覚。収入と支出はほとんどトントンで、貯蓄もたまらない。僕は前にも後ろにも進めない。彼女との変わらない生活。もう、僕の生活にこの先予想外の変化はないだろうという、老いてしまった感覚。

友人もいないので、生活の外部をもてずにいる。