石原海「重力の光 ー祈りの記録編ー」

去年、資生堂ギャラリーでみた同作(「美術編」)とは全く変化していて、美術編にあった美しい均衡は崩壊していて、ある種の象徴性から降りて、むきだしの具象、生身の人間の体温が記されいた。

美術編はある種象徴化された形の具象性と、その信仰を交互に描くことで、信じることでしか生きることのできない人たちの切実さを普遍的なものとして描くことに成功していたと思う。なによりそれはその象徴化の方法も相まって、画として美しかった。

しかしそこで失われてしまったものは何か。
それは象徴、がことごとく手からこぼれおとしてしまう、生身の人間の体温、意味のない仕草、笑った時にでてしまう鼻毛、など。
それらの無意味だけど本当の具体性をこぼれおとさずに、あたたかくつつみこんだのが本作だと思う。

そして僕はそれら意味のない、美しくもないディティールが忘れられない。
信じることでしか生きることのできなかった彼女たちの具体性は、フィルムにのこった一部分のものだとしても、僕のなかで生きつづけるような気がした。